
5歳で習い始めたピアノ
はじめは練習が苦痛だったのにピアノに救われたのは大学生の時
大学2年での周囲の反対を押し切っての一人暮らし
初めてピアノのない生活に息苦しくなり電子ピアノで何とかジャズへの転向を試みて
いたものの、これまたどうしていいか分からず、手当たり次第の独学を経て、某ジャズ
スクールで最高の師との出会い
大学4年、もとい大学5年生の時
何故か言葉を介しての社会との交流が出来なくなって
それ以来ピアノが私の言葉に
結婚披露宴でのピアノ奏者の道へ
同時にいきなり、生バンドで歌うことの出来る環境にめぐり逢えて後、ポップスやジャズを
歌うことと ピアノでの披露宴演奏の道を並行して。
ここでもかけがえのない出逢いでたくさんの師に恵まれました。
そして披露宴のピアノ演奏とヴォーカル、ショー・シンガーとして手を引かれて
ピアノに音楽に救われた私は、生演奏で本当に救われる人は実生活の中にこそいると確信。
そういう苦しい時、行き詰まった時に何気なく力になれる生演奏を目指し、『演奏者の心の表現である生演奏を
社会の身近な処へ』を信念に、師から暖簾分け戴いた
を主催。
そして自身は2001年〜2009年までクラブ専属ピアニストとして何気なく力になれる生演奏をモットーに
演奏で社会に関わらせて戴くという貴重な経験を積ませて戴きました。
多くのお客様や、同じ職場の方々から本当に愛して戴けた、おそらくこんなに幸せな演奏家は他にはいないと、
今も、その時々を振り返ると感謝にあふれてきます。
2006年までは
としては披露宴の演奏を主体に活動
以降はより実生活の中で、生演奏が、演奏家が社会で役割を持ち、ニーズを受け、根付けるような活動を主体にすべく
一アーティストを確立できるよう自らの演奏に磨きをかける時間へと、そして専属ピアニストを退いた今、その想いは
より強くなって・・・。
生演奏はCDと違い、生きています。
演奏家と皆さんが同じ空気の中で、観客の皆さんの雰囲気とあいまって創り上げられるもの。
観客の皆さんの雰囲気が、同じ人々でも日によって違うように、
生演奏も、その時だけのもの・・・
そんな面白さを皆さんに感じていただきたい・・・
また生活の中で生演奏が減ることは、音響やエンジニアも含め、
音楽に携わる人々が日本では育たないことに繋がってしまいます・・・
貴方のお子様が、音楽の仕事をしたいと言い出される折に、
親御さんに喜んで送り出してもらえるように
もう少し社会的役割を認識してもらえる機会が増え、
生演奏が仕事として認識してもらえるように
そして、アコースティック楽器を作り出してきた多くの先人達の情熱と苦悩と技術を
理解してもらえるように・・・・。
その為にも、自身を一アーティストとして確立できるように・・・・。
2009.11.18